「 東京で会いましょう!」③

私が会社に入り程なくして、兄さんは会社を離れ、独立した。
会社を離れた・・・いや、妬みと陰謀の罠に嵌り、ある日突然辞めさせられたのだ。
下の私たちには何が起きてるのか全く把握できず、まさしく晴天の霹靂と言うような出来事だった。
会社のムードが一気に変わる。元々、兄さんの人柄で一つにまとまっていたような会社だ。その太陽の様な求心力がなくなり皆から笑顔が消えた。

一方で突然の解雇劇に見舞われた兄さんは失意で暫く元気がなかったが、数ヶ月色々模索思考した結果、やっと起業する決意を固めた。

そして、私は会社を辞め兄さんの立ち上げを手伝うことに決めた。

創立当時は5人でスタート。姉さんも創立当時は良く事務所に顔を出し、
スタッフを労った。まさに、二人三脚の会社だった。
私も、兄さんと一緒に上海隈なく営業に出かけ名刺を配り、主要な日経企業に片っ端から電話を入れた。

努力は報われ一年、二年と経つ内に、会社の名前は日系駐在員の間に浸透し、顧客も

200、300と増えていった。
最初5人でスタートしたスタッフも、今では50人と規模が拡大し、経営も
安定している。

 

ディズニーシー。姉さん撮影

f:id:zazhi:20150111221559j:plain

 

しかし極めて順調で、成功した陰には色々な出来事があった。

前の会社からの嫌がらせは卑劣を極め、またその対象は立場の弱い私に集中した。

ある日突然、二人の公安が事務所にズカズカとやって来たかと思うと、
おもむろに「 ◯◯さんはいますか?」と、私を尋ねる。
「 何月何日に就業許可証とパスポートを持って出頭して下さい。」と、
出頭命令。悪意ある召喚だった。明らかに私を脅す為の前の会社からの嫌がらせだった。
出頭の日。この時点では就業ビザ関係は全て整えていたので、そこまでは怖くなかった。でも、ここは中国。何が起きるかわからない不安。でも、兄さんが一緒に着いて来てくれて、一生懸命泣き顔で懇願にも似た釈明をしてくれた。お陰で、何のお咎めもなく、帰された。

その後も尾行、嫌がらせ電話が続き私を悩ませた。
今思えば、私もよく耐えた。
しかし一番大きかったのが、二人の存在だった。
「 必ず私たちが守りますから」
その言葉があったから、やっていけた。
何が起きても二人が助けてくれる、大きな安心感があった。

全て悪事の限りをし尽くし満足したのか、半年位すると嫌がらせはぱたっと
なくなった。

意外にも、この事が私たちの絆を深めた。
絶対的な信頼関係。

以来、17年。。。。時は流れ

香港、日本と場所は離れても、いつも近い。

 

「 東京で会いましょう!」